セルフ・パブリッシングでリリースされた本の魅力を分析し、自分の作品に役立てる〈敵情視察〉シリーズ。今回の“ターゲット”は、初瀬明生氏の『ヴィランズ:悪役たちの物語』だ。
セルフ・パブリッシングにしては(といってはナンだが)、かなりの長編だ。「もうそろそろ終わりかな?」と、読書の進み具合を確かめると「まだ30%……だと!?」。
初めは「セルフ・パブリッシングだから、書きたいことをひたすら詰め込んで、こんなに長くなってしまったのかな?」と思った。自分も自称・小説家として気持ちは理解できる。でも、読者として満足できるか不安はあった。
しかしながら──。
読み終わってみると、原稿用紙650枚の大ボリュームには、きちんと理由があったことがわかる。
途中で飽きることなく最後まで読み通せたのは、作品として、しっかり完成しているからに違いない。
そんな本作の魅力を“スパイ”していこう。
この記事はぎゃふん工房の作品レビューから移植したものです。
[内容]超複雑系ファンタジー&ミステリー
本作はどんな内容の小説なのか。できるだけ簡単に説明していこう。
作り込まれた世界観
高校生のニーアは、新進気鋭の小説家。彼女は特殊な能力を持っている。自分が作り出した物語の世界に入り込み、キャラクターたちとコミュニケーションをとることができるのだ。
キャラクターたちは、ニーアの作るストーリーに合わせて、小説の登場人物を演じる(外見もCGのようなもので変えられる)。そうすることで、作品が出来上がっていく。
あくまで“役者”として振る舞っているだけだから、魔女や悪魔、吸血鬼などと呼ばれる者たちも、実際に何か悪さをするわけではない。むしろ、どちらかといえば彼女らは善人。それどころか、自分たちの世界でじつに平和に暮らしているのだった。
ようするに、本作では3つの虚構世界が存在している。
- ニーアが女子高生・小説家として生きる世界
- キャラクターたちが暮らす世界
- キャラクターたちが小説の登場人物として活躍する世界
謎をはらむ物語
では、このように入り組んだ世界でどんなストーリーが展開するのか。
今度のニーアの新作は、呪いがかけられてしまった国の話。キャラクターたちは小説の登場人物として、その国の城に赴く。誰が呪いをかけたのか、どうすれば呪いが解けるのか。王様から依頼を受け、謎の解明に奮闘することになる。
魔力を持つモンスターが登場し、キャタクターたちも魔法で応戦(モンスターや魔法もCGで表現される)。つまり、ニーアの小説はライトノベルのようなファンタジーというわけだ。
今回、ニーアは新たな試みを行なうという。キャラクターたちに小説の役を演じさせるのではなく、それぞれを本人役として作品に登場させるらしい。
従来は、きちんとシナリオが用意され、シーンごとに段取りを打ち合わせしながら作品づくりが進められていた(まさしく映画を撮影する要領だ)。でも、今回は台本がなく、キャラクターたちにも小説の詳細がわからない。
なぜそんなことをするのか。ニーアは何かを企んでいるようだが、真意は教えてくれない。
腑に落ちない想いを抱えながらも、キャラクターたちは、小説の登場人物になりきろうとするのだった。
[見どころ]複雑な世界と物語で酩酊感に浸る
原稿用紙650枚の理由
本作の世界観と物語をかなり単純化して──いや、乱暴に説明してきたわけだが、それでもこれだけの文字量を必要とした。なお、小説ではこの世界のしくみが懇切丁寧に説明されるので、理解できないということはない。
さて、冒頭で「原稿用紙650枚の大ボリュームには、きちんと理由があった」と述べた。
「なるほど、この複雑きわまりない世界観をきちんと説明するために、かなりの枚数を要したのだな」と早合点する人もいるかもしれない。
違うのである。
本作がここまで大長編になった理由。それは、前述の〈2〉の世界、〈3〉の世界それぞれで〈謎〉が設定されているからだ。
単純にいえば、呪いを解くこと(〈3〉の謎)と、ニーアの真意を知ること(〈2〉の謎)。この2つが解決しなければ本作は完結しないわけだ。異なる2つの小説が合体しているようなものだ。
あろうことか、呪いの謎解きには、本格的な密室トリックが関係してくる。この部分だけでも、ちょっとした推理小説1作分の要素が詰め込まれている。
表紙のイラストのイメージから、少し変わった生ぬるいファンタジーかと思って油断しながら読んでいると、とんだしっぺ返しを食らうことになるのだ。
とはいうものの、ただ2つの物語をくっつけて「こんなに趣向を凝らした作品を書き上げました」と作者がドヤ顏するようであれば、感心することはあっても、興は削がれてしまうだろう。
だが、本作はそのような愚を犯していない。
大切なのは、凝りに凝りまくった世界と物語で、読者は何を得られるかだ。
やがて2つの虚構世界が混ざり合う
そもそも、キャラクターたちが素のままを“演じる”というのが厄介だ。たとえば「魔女が天使の役をやっている」というだけなら、「さっきは〈2〉の世界だから魔女本人、いまは〈3〉だから天使として行動しているのだな」というように、そのつど頭を切り替えて読んでいける。
だが、「〈2〉でも〈3〉でも魔女は魔女(しかも善人)」となると、何が何やらわからなくなってくる。読み進めるうちに、読者の頭の中で〈2〉と〈3〉の虚構世界が融合し始めてしまうのだ。
あえて2つの虚構世界を混ぜ合わせ、読者を混乱に陥れる──これは、本作の狙いのひとつなのではないか。そう勝手に深読みする。
視点の切り替えがさらに混乱を招く
本作が「読者の混乱」を企んでいるのではないかと感じさせる理由は、ほかにもある。
それは、視点の切り替えだ。
本作は基本的にキャラクターのひとりである魔女の視点から描かれる。しかし、ときどき吸血鬼に語り手が変わる。
ただでさえ込み入った世界で、視点まで移り変わっては、よけいに読者は戸惑う。賢明な書き手なら、特別な事情がない限り、こんなことはしないだろう。つまり、作者は意図的にやっているわけだ。
読者のロジカルな思考を破壊する
このように、小説としてある種の“読みやすさ”や“わかりやすさ”を犠牲にしてまで読者を惑わせようとするのはなぜか。
それは、読者の合理的な思考力、冷静な判断力を弱めるためではないか、と想像する。
たとえるなら、お酒を飲んでホロ酔い気分になっている状態。軽い多幸感やちょっとした酩酊感のようなものを読者に与える。それを意図しているのではないか。
そして、それによってさまざまな効果がもたらされていると思う。
[効果その1]テンプレの白々さを拭い去る
先に「ニーアの小説はライトノベルのようなファンタジー」だと述べた。つまり、〈3〉の世界では、大迫力のアクション、激しい魔法のバトルシーンが展開する。
これらは、CGのような“特撮”で実現されているわけだが、読んでいる者には、CGなのか実写なのかは区別がつかない。
つまり、ファンタジー作品ならではのダイナミズムを味わえるというわけだ。
一方で、その手の小説は巷にゴマンとある。売れ筋ではあるが、それだけに目新しさはなく、いささか食傷気味だったりもする。
ところが、“酔った頭”で読んでいると「あれ? これって(作中の)現実だっけ? 虚構だっけ? どっちだっけ?」と、目の前の光景に1枚フィルターがかかったようになる。ありふれたシーンも読者の目には新鮮なものに映る。
いわゆるラノベの“テンプレ”のような物語を展開させながら、その白々しさを拭い去る。そんな効果が生まれるわけだ。
[効果その2]読者をミスリードさせる
もうひとつ、読者をミスリードさせる、という効果もある(こちらのほうがより重要かもしれない)。
先にチラッと触れたように、本作は本格ミステリーの様相を呈している。簡単にネタが割れてしまっては面白くない。うまく読者を煙に巻き、“犯人”を想像させながらも、最後にいい意味で裏切り、カタルシスを与える。
そんなミステリーの醍醐味を“酩酊感”によって実現しているのだ。
いまから思えば、「特別な事情がない限り」やらないはずの〈視点の切り替え〉も、じつはミステリー的なトリックの伏線になっているのだった。
あの感情は偽りだったのか?
少し横道にそれるが、個人的には欠点だとは思わないものの、読者の中には気になる人がいるかもしれない。あえて、そんな部分を挙げてみよう。
〈3〉の世界は、ニーアの世界で読まれる小説だから、登場人物の心情も描かれる。バトルシーンがCGで表現されるのはかまわないが(読んでいる者には区別がつかないので)、登場人物が抱いた喜びや悲しみ、怒りなども所詮は“つくりごと”ということになり、虚しさを感じてしまう。
もし、読者が登場人物に共感し、同じ感情を抱いたとすれば、梯子がはずされた気分になってしまうかもしれない。
逆に言えば、登場人物たちの過酷な運命に、なんともやり切れない想いを抱いたとしても、「あ、そうか。これはフィクションだった」と思えば、さわやかな気持ちで本を閉じることができる。読後感が悪いものにならないわけだ。
[まとめ]本当の“主人公”は誰?
ニーアの能力は特殊ではない
先ほど、ニーアは「特殊な能力を持っている」と説明した。だが、ここでふと思う。はたしてこれは特殊なのか? 小説を書いている者ならば誰でも「自分が作り出した物語の世界に入り込み、キャラクターたちとコミュニケーションをとることができる」のではないだろうか。
キャラクターたちが物語の真相を教えてくれたり、ストーリーの進め方に頭を悩ませているときに「どうしましょう?」と相談すると「わたしに任せてください」と言ってなんとかしてくれたり。自分自身、そんな経験がある。
だから、小説家・ニーアについて特筆すべきなのは別の点だ。
売れ筋のテンプレに頼らず、むしろそれを破壊すべく、新しい試みに果敢に挑戦したこと。当ブログはそこに注目する。
これは、小説を書く者──いや、モノづくりをする者は、決して忘れてはならぬ創作姿勢だ。しかも、単に「挑戦した」だけでなく、きちんと作品として完成させた。そこが評価に値するわけだ。
本作の真の主人公は……
最後に、本作の主人公は誰だったのかという問題を考えたい。
真っ先に思い浮かぶのが、表紙にも大きく描かれているニーアだ。なんといっても、世界の創造主である。
ただ、実際に物語を語っているのは魔女だ。むしろこちらが主人公といったほうがしっくりくる。
ここで、本作で描かれている3つの虚構世界を思い出してみよう。
- ニーアが女子高生・小説家として生きる世界
- キャラクターたちが暮らす世界
- キャラクターたちが小説の登場人物として活躍する世界
すなわち、〈1〉もわれわれにとっては虚構なのだ。では、〈1〉の世界を作ったのは誰か。言うまでもなく、本作の作者(初瀬氏)だ。
世界の創造主や物語の語り手を「主人公」と考えるなら、本作のそれは初瀬氏ということになる。
そして、先に述べたニーアの小説家としての卓越性は、そのまま本作の作者にも当てはまる。
繰り返そう。
売れ筋のテンプレに頼らず、むしろそれを破壊すべく、新しい試みに果敢に挑戦したこと。当ブログはそこに注目する。
これは、小説を書く者──いや、モノづくりをする者は、決して忘れてはならぬ創作姿勢だ。しかも、単に「挑戦した」だけでなく、きちんと作品として完成させた。そこが評価に値するわけだ。
これは、本作『ヴィランズ:悪役たちの物語』に対する当ブログの感想にもなる。
さて、ニーアは自分自身も虚構世界の住人であることを認識しているのだろうか?
感想ありがとうございますm(_ _)m
おそらく今までいただいた感想の中で最も長いものだと思います。何章にも分けて密に分析していただき、本当に感謝です。
著者ご本人から直々にコメントをいただきありがとうございます。
当初は「誰も感想を書いていないようなので」と思って書き始めたのですが、
モタモタしているうちに、いろいろな方のレビューを目にするようになりましたね。
「なぜこんなに注目されるのか」というのが、今後の考察課題になりそうです。